しかし空腹である。本日の晩御飯。


 世間はハロウィン一色、インスタのストーリーには楽しげな飲み会の写真が並び、僕は それを眺めながら独りピリ辛胡瓜を囓っている。29歳、独身。

 皆の乱痴気騒ぎのデータを受け取りまくったサーバーはパンクし、どうやらアカウント一時消滅のバグが出ているらしい。ざまぁない。



 なんで こんなにも飯も食わずイライラしているかというと、実は、今月 K-1の大会に出ることが決まっていて、大絶賛減量中なのである。既に半年で20kg以上痩せていたものの、直前であと3kgくらい落とさなければならない。今日の晩御飯はキュウリのみだが、先ほどまで練習だった。プロ付きっ切り1時間半。後半の筋トレで追い込みすぎて まだ手が震えてて、タイピングもいつもより遅い。血糖値、最近たぶんずっと80くらい。トリックorトリート? ぶん殴って お菓子全部はぎ取るぞ。がるる。

 ふぅ、Twitterやインスタと違って、自サーバーのブログは いくら暴力表現があったとしてもBANの危険性がない。素晴らしい。


 とまぁ、低血糖で眠れず月曜の夜から夜更かししていたのだが、ふいにTwitterにDMが来た。送り主をAさんとしよう。


Aさん「突然のDMもうしわけありません。そしてめちゃくちゃ失礼かつ気持ち悪いと思うんですが、

色々ググった結果、こちらのブログ記事にたどり着いて、そこから竹内さんのTwitterを見つけてこうしてDMさせていただいたんですが…

もしかして、高校生のころエメマンジャージとか持ってませんでしたか???

https://minorincidents.tokyo/blog/minor-incidents-...



・・・?

うん、持ってた。しかし、10年前の話だぞ・・・?

せっかくだし、少し昔話をする。



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 昔、厨二病 真っ盛りの佐世保北高校 3-1 12番 竹内は、高校の自販機にあるエメマンを ひたすら飲んでいた。たぶん体液の7割がエメマンだったとおもう。あと3割がヨーグルッペ。人間のすべて。

 で、その当時2011年、「エメマンジャージ」なるものが抽選で当たる、という応募企画があった。缶についているシールを3枚集めてホームページからIDを入力すると、スロットが回って当たる、みたいな仕組みだったと思う。



 7割エメマンマンとしては このマストアイテムを逃すわけにはいかず、連日エメマンを飲みまくってシールをためていた。しかし、なかなか当たらなかった。確か、全国2-3000枚とかじゃなかっただろうか。結構数が少なかった。

 それでも諦めきれずにエメマンを がぶ飲みし続けていると、そのうち、シールを分けてくれる同級生や先生が出始めた。終盤には、竹内が学校中を練り歩いて托鉢し、凄まじい量のシールを集めることになった。いつしか、とにかく竹内、エメマンジャージ当てて学校に着て来い、みたいな流れになった。画像は当時1日でもらったシールの量。「お気持ち」と呼んでいた。



数か月間、托鉢生活を続けていたと思う。

そして遂に、抽選200回だか300回だかで、当選したのである。



人生で嬉しかった瞬間TOP10には確実に入る。ワックワクで景品到着を待ち、届いたその日に学校に着て行った。

 当時の竹内、18歳。

 当選したお礼に、この服装で学校を回った記憶がある。上 エメマン、下 学ラン。校則が結構厳しい学校だったのだが、この日ばっかりは怒られなかった。ちなみに、センター試験もエメマンジャージで受けた。

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 という回想が頭を巡った。ということは、DMをくれたAさん、竹内の高校の同級生か何かだろうか? DMの返事を出そう。


竹内「持ってました!!! なんなら今でも飾ってます」


 すると、予想外の返事が返ってきた。


Aさん「もしかして「○」というブログをやってらしたり…(○は伏せ字)


!!!!


 そう、なんでエメマン関連のこういった画像が残っているかというと、この記事にも書いた通り、竹内は昔ブログをやっていたのだ。グレーな電子工作を載せまくったり、良くないところに喧嘩を売っていたり、まぁロクなことがないだろうと今は全記事を非表示にしているのだが、実は未だにブログ自体は残してある。記事も全て残っていて、画像はそこからサルベージした。


竹内「え、そうです!! Aさんは竹内の学校の同級生です??」


Aさん「ただの一読者だったひとです!当時中学生だったんですけど、竹内さんの書くブログが面白くて憧れてまして。。。」


!!!!!!


マジか。竹内の旧ブログは恐らく一番記事が読まれていたのは2010年とか、12年前である。そのころの読者さんが偶然、今の このブログを発見されたとのことだった。


Aさん「8年越しぐらいに会えて(?)勝手に見つけただけなんですけど本当、良かったです。感動してます。おいそがしいのにすみませんでした!!!」


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 またインスタを開く。渋谷は まだまだ人で溢れていて、みんな景気よくやっている。見るんじゃなかった。Twitterに戻る。DMをくれたAさんは、偏見で申し訳ないが 多分ハロウィンの飲み会なんか参加してないだろう。と思ってツイートを覗くと、やっぱり参加していなかった。心の友よ。ツイートをさかのぼって読ませて頂く。スーパーカブ C125。PUNPEE。FPS。全くもって自分を見ているようであった。趣味があう。思わずDMでツッコむと、



Aさん「知らず知らず似せていったのかもしれませんw」



 と。ブログではバイクの話なんかしていなかったが、どこか共鳴するものがあるのだろう。加えて、ちょっと自意識過剰かもしれないが、ひとつ前のDMの 「 (?) 」 の表現、これは僕がブログで よく使っていた言い回しだ。



 "自分" なんてものは、当然 無から発生したわけではない。バイクを好きになるきっかけの原付をくれたT先輩、働いていたクラブでHIPHOPの魅力を教えてくれたS先輩、学校をさぼってネットカフェに入り浸っていて、どうしようもない成績だったけどFPSだけはピカイチに上手くて、僕にFPSの基礎を授けてくれたF先輩。いろんな方から受け取ったもので 今の"自分"が形成されている。また、この3先輩みたいに直接影響を受ける場合もあるし、なんとなく文体・言い回しが似る、みたいな ほんのちょっとした影響もあると思う。竹内の文は、ひらがなやカタカナの単語が連続した時には半角のスペースを入れるようにしているのだが、これも とある恩師の文の書き方の受売りである。そして 文章での口調は、中学生時代に読みまくっていたブログに似ているところがある。思い返して比較すると、なんとなく そう感じる。



 閉鎖して10年弱になる弱小ブログの読者さんがいらっしゃって、しかも僕のことを まだ覚えていて下さること。知らず知らずのうちに、誰も読んでないやと思って閉じたブログが 誰かの一部を 少しは形成していたかもしれないこと。そんな方と、この広いネット上で再び出会うことが出来たこと。あの頃と変わらず 仮装なんか出来ずに引きこもっている僕の元に、仮想世界から ちょっとしたイタズラが届いた。



 明日も朝から仕事で時間が無くて、と文末の初めから逃げ腰であるが、最近また徐々に忙しい。YouTubeしかりブログしかり全く更新できていなかったが、コツコツ コンテンツを作る喜びを久々に実感した。少人数でも楽しんでいただける方がいらっしゃることを、思ってもみない形で確認させて頂いたので、感謝と罪滅ぼしに1記事仕上げた次第である。先日、他のYouTuberさんとお話しているときに自分から出たフレーズでしっくりきているものがある。「ぼくらは美味しい料理が食べたいんじゃなくて、自炊したいんです。」 お金に任せて編集を外部委託するくらいなら、そもそも活動しません。提供が遅くても 見栄えが悪くても、我々の料理を美味しいと仰って下さるかたが そこにいる限り、我々は我々の手で制作を続けます。



 今年のハロウィンは良い収穫がありました。では。