今日寝違えたから、ゴットハンド輝の あの画像ググって実践したら軽快した。

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どうも。竹内です。

いきなりカミングアウトから始めるが、実は昔、僕はブログをやっていた。

黒歴史なので現在は全部非公開にしているが、記事自体は残っている。

東京ヒヤリハットでもブログを書くことになり、4~5年ぶりに自分の記事を見ることに。

とりあえず適当に選んだ記事を貼ってみる。

以下、竹内の高校生時代のブログから。

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宇宙人が,すごく遠くから来るとしよう。

3年くらいかかるとして。


で,宇宙人が着陸して,場を和ませようと考える。


日本に着陸するので,日本のギャグを一個身につけてから地球に来たとする。



そしたら,藤崎マーケットとかを完全に物まねできる宇宙人が日本に来るのだろうか。


「ラララライ ラララライ 『まずはご挨拶 エクササーイズ』」


とかいう事を考えてたから,数学のテストで計算ミスをした。

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 僕も当時16歳とか。暇だったんであろうことだけがクッキリと分かった。


 この記事を書いていたのがちょうど10年前くらい。記憶がよみがえってきた。

 10年前、思春期真っただ中の竹内少年は、そりゃもうエネルギーが有り余っていた。昔も今も変わらず、自分が面白いと思うことを実行するのが大好きで、お小遣いをひっかき集めて学校のロッカーにうまい棒を敷き詰めたり、紙の辞書をくりぬいてDSを入れて学校で遊んだり、まぁ くだらないことに心血を注いでいた。また、僕は当時から機械類をイジるのが得意で、壊れたDVDデッキからレーザーダイオードを取り出してレーザーポインターを作ったり、SHARPのBrainっていう電子辞書にファミコン入れたりして、クラスでの変人の地位を確立していた。憧れのキャラクターはヒル魔妖一だった。


↑当時自作したレーザーポインター。黒いプラスチックなら溶かせてた。危ね。



 当時、10年前くらいのインターネットでは、「おもしろフラッシュ倉庫」というものが流行っていた。うら若き方に説明すると、まぁ、なんだろう。主に当時の2chとかでネタになっていることを、GIFアニメとかFlashアニメとかにしたものが集まっていたサイトだ。Twitterのミームだけが集まったサイトだと想像すれば結構近いと思う。

 田舎に住んでいた竹内少年にとっては、これが凄まじく衝撃だった。恐らくは自分とそう歳も変わらない連中が、自分より面白いものを、自分の知らない技術で作っている。当時はTwitterとかも流行っておらず、その製作者に連絡をとることは出来なかった。ただ、目の前に、自分の能力を超えた作品がどんどん現れ、その作者が分からない。そのことが すごくもどかしかった。そして強く憧れた。田舎では俺が一番面白い奴だったのだ。自称だが。田舎のせいにするのもちょっと違うかもしれないが、当時の竹内少年の周りには、竹内よりもパソコンに強い人がおらず、自分の壁を破る手段が無かった。ちくしょう、面白い。でも これは作れない。焦った。焦った結果が、クラスのみんなに結構迎合した「ブログ」の開設だった。


 10年前、中高生の間で携帯ブログが流行った時期であった。

 クラスのイケてる女子たち、部活が一緒の男子たち、ちょっと変わった個人。みんなが色々なく括りで思い思いのブログをガラケーで作り、お互いに見合うのが流行っていた。カップルブログなんてのもあったっけ。そこにプリクラをのっけるのがイケイケの証で、捻くれた僕は、誰ともプリクラを撮ることもなく、面白いのかよくわからない さっき貼ったようなパソコンブログを書き続けていた。

 クラスの中で変なことをやって、同級生に反応してもらうのが喜びだった竹内少年にとって、ブログというのは革命だった。全国のよく知らない人から反応がもらえる! そりゃもう嬉しくて嬉しくてブログを更新しまくった。初めは、さっきのダジャレに毛の生えたようなよくわからん記事を書くだけだったが、その後、自分が得意だったレーザーポインター作りや電子辞書イジりの記事を書き始めた。

 その中の、「電子辞書を改造してファミコンをしよう!」という記事が、竹内少年のブログ人生で初めて「バズった」。当時の言い方だと「アクセスがガンガン伸びてる!」状態になった。嬉しくて嬉しくて、自分の記事でF5を連打しながら、増えていくアクセス数をまじまじと見つめていた。


 それからというもの、ちょっとマズそうな機械イジりやソフトの紹介の記事を中心にブログを書くようになった。自分が面白いと思うことではなく、どうすればアクセス数が増えるか、もっと反応されるかを重視するようになった結果だった。(実はその人気シリーズの中に、幸○の科学イジリの記事があった。その総裁の息子と東京で邂逅することになるのだが、それはまた別の機会に。)

 人気そうな記事を描けば、人気が出る。当たり前のようだが、そこには時流を見つめるセンスが必要、それが俺にはある! としばらくは鼻を高くして記事を書き続けていたが、増えていくアクセス数とは裏目に、自分の中でのブログに対するやる気が薄れていった。


 最初は、自分が面白いと思うことをみんなに見て欲しかった。でも、途中からは、みんながアクセスしそうなことに、自分の興味を合わせようとしていた。


 でも考えてほしい。みんなの興味と僕の趣味が合うハズがないのだ。だって考えてほしい。ブログを書いているのは思春期真っただ中 竹内少年。クラスのみんなとプリクラを撮って貼るでもなく、カップルの近況を綴るでもなく、藤崎マーケットに思いを馳せる変わった少年だ。そう、変わっているのだ。要は、みんなと興味が違ったのだ。

 アクセス数を伸ばすためだけの更新が徐々につまらなくなり、それでも高校卒業後も ちまちまと更新はしていたが、いつだったか忘れたくらいに更新しなくなってしまった。


 あれから10年、今やブログを書いている同い年なんてもう周りには一人もいなくなってしまった。たまたまchromeに残っていたあの頃の携帯サイトのリンクを片っ端から踏んでみたが、全部封鎖されていた。

 みんな大人になったんだと思う。あれから10年も経ってんのか。ただ、自分の中の、面白いことをやって他人に見てもらいたい、この部分がうまく消化されずに未だに残っている。いや、もしかして、一生残る自分の芯なのかもしれない。


 10年前のブログでは、アクセス数はあまりお金に変換できなかった。両親に隠れてコソコソやっていたため、未成年の竹内少年には お金を受け取る手段もなく、そもそも金額が大したことなかった。あの時ブログだけで食えるようになっていたら、そもそも大学受験もしていなかったのではないかと思う。言い換えれば、自分の好きなことで生きていけないから、身を立てるのを受験に頼った。


 良い時代になったと思う。ネットから得られる広告収入は身を立てるに有り余る金額になり、都心に住んでいない人からでもバンバン大物YouTuberが出現し、好きなコンテンツを好きなように出し好きなことで好き放題生きていけるようになった。


 正直言おう。羨ましい。そりゃ大金を儲けていることも十二分に羨ましいが、何より、コンテンツの発信がこんなに自由にできる状態が中高生時代にあることが羨ましくて仕方がない。


 10年前にカップルブログをやっていたあいつらだって、現代に居ればカップルチャンネルをやるんだろうし、プリクラでキャピキャピしていたあの頃の女子たちは、今じゃインスタに自撮りを上げて、TikTokで踊って、話題になってどっかでデビューしたりするんだろう。過激なことを面白がっていたやつらも、危なっかしいことを動画でやって、炎上しつつも地位を確立したりなんかするんだろうな。

 思春期の若者の「何かを発信したい欲」は時代を問わず、普遍的にあるものなんだと思う。その発信手段が増えた今、それのみで生きていくことが可能になってきた。


 只今午前2:30、明日の仕事を気にしながらこの記事を書いている。26歳になった僕は、性懲りもなくYouTuberなんかになった。

 あの頃のモヤモヤを、だいぶ周回遅れで追いかけている。あのままブログを書き続けていれば、途中から動画にしていれば、なんだよ、俺は10年前からやってたのに、なんて どうにもならないモヤモヤを書き綴り、缶チューハイを啜ってる。


 だから、東京ヒヤリハットは、面白いと思ったこと のみをやっている。手軽にバズる方向はなんとなくわかる。コロナの話を不安を煽って派手なサムネを作り、薬剤師さんのドラマを話題に出し、モーニングルーティーンなんかやれば いい感じではなかろうか。でも、それはやりたくないのだ。あのブログの二の舞だ。アベノマスクが届いた瞬間に動画にしたらバズったが、自分を恥じて消した。俺が面白いと思うことを、バズらなくても続ける。この先に何かがあると信じている。ブログを続けることが出来ずにチャンスを逃した 竹内少年のもやもやをここで晴らしたいのだ。たぶん。

 と、ヒヤリハットの方針を自分本位で語ってしまったが、あとの2人も、少なくとも黄色いほうは似たような感覚だと思う。あの黄色いのも、高校生時代にパソコンブログを書いていたらしい。類は友を呼ぶというか。まぁ、YouTuberやろうぜ!にYesと答える時点でこちら変人サイドだった。今はあっちでマイナーなネットラジオを流しっぱなしで寝ている。青いのにも絶対変なところがあるので、一緒に見つけていきましょう。


 1記事目にしては長くなってしまったが、恐らくは、続けていくうちに蔑ろになるであろう「東京ヒヤリハットレポート」という趣旨に沿ったブログを書いてみた。僕にとっては再開になる。見るも懐かしい、前ブログの眠る381件の記事、ちょうどハインリッヒの法則のヒヤリハットの部分くらい。アクシデントを寧ろ起こしていきたく、今後もよろしくお願いします。