夢は何ですか?



と呼びかけても、ここはブログ。平成に置いて行かれたレスポンスのできない消えゆく媒体である。自分でググろう。


小学生・男子 将来の夢ランキング2023(第一生命調べ)


1位・会社員

2位・YouTuber

3位・サッカー選手

4位・警察官

5位・ゲームクリエイター

6位・野球選手

7位・公務員

8位・ITエンジニア・プログラマー

9位・医師

10位・学者・研究者


なるほど。1位が会社員というのは、なんというか、厨二病が早めに来てないか?ニヒルぶるというか、俺、自分の実力くらいわかってますから。的な。

令和を ときめく子供たちは情報への接触も早くて、厨二病が早期に発症している気がする。そもそも、もう 厨二病とかも死語か。

まぁいいや、とにかく、将来の夢というのは一般的に こんな感じらしい。


自分は どうだったろうか。

こないだ、なっがながと自分語りをしたので、詳細な自分語りは省略しよう。

あそっか、ここはブログ。動画 貼っとくのでゲロ暇な方は ご覧ください。




僕は、幸か不幸か、小学5年生で絵画コンクールで世界一になった。

世界一になるのが夢でしたか? と聞かれると、流石に そこまで自惚れたガキではなかったので、「まぁ、絵でなんか目立てればいいなぁ」くらいに思っていたら、世界一になった。



わけがわかんなかった。今でもわからん。

生活が一変した、というほどではなかったが、まぁ目立った。テレビに新聞に取り上げられ、神童と言われ、海外を飛び回った。



ほんわかと抱いていた夢を、大きく超えたものが叶った。



夢が叶った感想としては、「まぁ、なんか、気苦労も増えるな」ということだった。


世界一を一度とると、次のコンクールも頑張んなきゃいけない、絵だけだよねって 言われるのが嫌だから勉強も頑張んなきゃいけない、時間がなくても一応運動部にも入っておこう。時間がない。


竹内の10代の感想は、総じてコレである。何をやっても、何を頑張っても、小学5年生・10歳の時のTHEグレーテスト竹内に勝てない。

中学受験合格も、その後 数十回獲った日本一も、部活でちょろっと出た九州大会も、医学部合格も、世界一の体験の前に霞む。




夢が叶った後には、その夢についてだけのコンプレックスがなくなった、別のコンプレックスを持つ人生が始まる。




こと、今現在、医学部生や医者である人には この心境は共感できる、というか伝えやすいと思っている。

この質問一発である。


「今、医学部生、医者であることを 毎日心底幸せに思ってますか?」


本気で、心の底から「いよっしゃぁぁあ!医者になってるぜ俺!ふぅぅえええぇいい!」と毎日思って仕事をしている方、いないでしょう。

居たらちょっとアレだとおもいます。はい。

振り返って、自分が医学部に合格できなかった世界線を想像すると、ぞっとするというか、どういう気持ちになっていたんだろうとは思うことがある。

別に 医者だけが特別な仕事だと言いたいわけではなくて、あくまで 一度でも医学部を目指して本気で受験勉強をした僕だから、ということであるが、目指した上で医者になれなかった場合、マンガで、ニュースで、病院で、医者を見るたびに、「あぁ、俺は医学部受かんなかったな」と思い続ける人生になっていたのだと思う。

しかし、その怨嗟の目を向けられている医者は、「クッソ、外来多いなぁ…めんどくせぇ…」としか思っていない。今、医者で居られていることへの感謝や喜びなど、普段は微塵も感じていない。目の前のストレスで精一杯だ。




夢が叶うということには、ポジティブな作用は全く無い。

夢が叶っても得られるものは何一つなく、自分の中からネガティブが一つ消えるだけである。


叶った夢に対して、悩むことから解放される。これだけ。




そんな10代を過ごし、医学部に入って20代になった。相変わらず、THEグレーテスト竹内(10)に負け続ける人生だった。受験の成果も、鳴かず飛ばずの佐賀大学医学部。入試で蹴落とした奴らへの気持ちなど忘れて、立派にコンプレックスをこじらせていた。


何も成せてない。過去の自分を更新できないまま人生が進んでいく。



まぁ、そういう焦りもあって、東京に出ることを選んだんだと思う。何かしなきゃ。なんか目立たなきゃ。YouTubeも始めてみた。特に当たらなかった。


この時点での夢は、夢というか目標は、「THEグレーテスト竹内(10)を倒す」 これに尽きたと思う。こいつがなかなか強いのだ。困る。


そうこうもがいているうちに、ついに、コロナ禍の中心に巻き込まれることになる。

巻き込まれている最中は、何か他のことを考える余裕なんて1mmもなく、とにかく目の前のタスクをこなしていった。



そして、ついに2021年。

僕は新橋に病院を建てた。

べつに病院を建てるときにも目標という目標もなく、なんとなく始めた。




そんなつもりでしかなかったのに、結局、20代のうちに20億円売り上げた。

ここには書けない、いろんな凄まじい案件があった。世間の黒い部分もいっぱい見た。


何十億も売り上げようなんて、もちろん思ってもいないわけで、自分の手を離れて あっというまに事業規模が拡大した。




ほんわかと抱いていた夢を、大きく超えたものが叶った。




デジャヴ。




今日、2023年7月1日。2023年も上半期が終わった。大体 半期で2億くらい売り上げているので、今年の売り上げは4億とかになると思う。新型コロナPCRだけに頼った経営からの移行にもなんとなく成功している感じだと思う。このままいけば、とりあえず食うには困らなそうな感じには なれそうである。



仕事も落ち着いてきていて、なんとなく、今後について考える時間が増えた。



とりあえず、目の前でずっと俺を睨んでいた THEグレーテスト竹内(10)が、いつのまにかいなくなっていた。



何が何でも東京で成功してやるというコンプレックスが、浄化されてゆく。



あと数年たてば、ここ2~3年の喧騒もおさまり、思い出になり、スーパーTHEグレーテスト竹内(28)が そこに鎮座するのだろうか。

30代の竹内は、はたしてコイツ倒せるのか。国家の真ん中らへんに関わる、または年10億ペースを一生でもう一度体験する、超えるなんてことが起こるのだろうか。

コイツの倒し方は、そっちの方向でなく、YouTubeとかでの成功になる気もする。別のベクトルじゃないと、正面突破はちょっと厳しそうだ。



大小、けっこうインタビューを受けるようになったし、プライベートでも、「このあとどうするの?」 と しょっちゅう聞かれる。



他に目標がないでもない。でも、それが叶っても、おそらく またコンプレックスが一つ消えていくだけなのだろう。

周りの芝生が全く青く見えない、安息の地は存在するのだろうか。


少なくとも、今のところは そんなユートピアは港区には存在しないように見える。

皆 せわしなくもがいている。ザコもヒトも怪獣も。



なので、返答に困る。

目標なんて元から無いので、今の病院をとりあえず安定させて、YouTubeを もっとちゃんとやる、とか ふにゃふにゃ答えている。

でも、ちゃんと全部答えると、この記事全文になるのだ。

何度も同じことを聞かれるのがめんどくさいので、アンサー記事を作っている、という次第であった。実は。






そして、そのうえで、僕も質問するようにしている。

本気で気になる。特に、何かを成功した大人たちに是非、聞きたい。






夢は何ですか?