車が壊れた。

壊れっぷりは先日動画でお見せした通りである。



とまぁ、しっかりと壊れた。冷却水をエンジン内に供給する管の根本が折れていた。

秋田県で故障したので、幸い外が寒く、水かけたりボンネット開けたりと、何とかエンジンを冷却しながら家まで11㎞走り切り、事なきを得た。秋田のディーラーではない車屋さんで修理して頂いたが、込々で1万8千円だった。外車の修理が高い、というのはウソだ。



そもそもこの車は、きよすけのお父様から頂いた車である。

きよすけのお父様が運転中に ご病気により意識をなくし事故を起こしてしまい、もう運転できないとのことで、ご厚意によりタダで頂いたものだ。お父様は幸い今でもお元気である。現在の走行距離は14.6万kmだが、頂いたときは12万km台だった。



車を頂いたときはまだ大学5年生、お金も全然ない時期だった。こくろーがそれまで乗っていた車も ちょうど壊れてしまった時期で、この話は渡りに船だった。元々は親からもらったMT軽トラに乗っていたので、大大大出世だ。


事故現場から佐賀まで車で配送していただき、佐賀で修理をすることになった。

しかし、BMWのディーラーに持って行ったところ、修理代は120万円と言われた。なんじゃそら。ピッカピカの中古車が買えるやんけ。

それでも、どうしてもこの車に乗りたかったこくろーは、この車を安くで修理してもらえる所を探した。

実は、その修理してくれたお店は動画にも登場している。


この店に車を持って行ったところ、「部品代が高いから、部品さえ揃えばどうにかなる」とのことだった。パーツが安ければいいのか、ということで、その後こくろーがヤフオクに2か月間張りつき、同じ車種の故障車を探し、その一部を分解して売ってもらってパーツを揃えた。そうして購入したパーツたちを、お店のご主人と ああでもないこうでもないと一緒にハメ込み、3か月かけてどうにか走るようになったのだ。たしか、総額40万円くらいだった。



その後、多少の故障を挟みつつも、現在まで問題なく走行している。もともと自分でパーツを揃えた車だから、だいたいの構造がわかっているので、故障には早めに気づけるようになった。メンテナンスの甲斐もあり、今でも絶好調である。凄い金額のかかった修理は今まで一度もない。「外車は維持費が高い」というのはウソである。自分で何となく構造を把握していれば、パーツを買ってハメるだけで大体の故障は直る。大きめの動くレゴだ。パーツをイチから自分で作るならまだしも、買ってきたパーツをハメこむのに知識なんて必要ない。


その後、佐賀大学から東京の病院に就職が決まった。九州の大人たちは、皆 口をそろえて「東京では車は要らない」「首都高は常に渋滞で走れない」と言っていたが、この車に愛着があったこくろーは、東京でもコイツに乗り続けようと思っていた。

そして3月。医師国家試験の合格発表があった日に、自分の合格を確認してから、このBMWに家財を詰め込んで、その日の夜に東京へ出発した。さながら夜逃げである。



表現が適切かわからないが、なんだか、初めて自分の足で正門から東京に入った感じがした。自分が医者になった日に、青春を過ごした佐賀を直した車で出発し、都会だと思っていた福岡を通り、佐賀とあんまり変わらない山陰を通り、大阪で級友と久々に飲み、東海地方の栄えっぷりに驚いた。徐々に太くなる高速道路に現れる「東京」の看板。裾野の広さに驚いた富士山。ついに現れる ”正門”「東京料金所」。そのまま役所で正式に都民になり、嬉しくて無駄に1周した首都高。ぶっとばしていく高級車にビビりながら よろよろ走る田舎モンと佐賀ナンバーの中古車。圧倒的なビル群。就職という形で東京に居場所を頂いてから通る正門は、田舎モンにとって巨大に見えた。


てなわけで、こういった経緯で今でもこくろーは東京でBMWに乗っている。修理は自分でやるから あまりお金はかからないし、そもそも電車だって有料だ。駐車場も探せばなんとかなるし、車検も自分で行けば10万しない。毎朝、九州の大人たちが口を揃えて使い物にならないと言っていた首都高で、渋滞に捕まることなく毎日通勤している。東京では車は無くてもいいかもしれないが、あったほうが間違いなく便利だし、研修医の給料で維持可能だ。そして何より、愛着が違う。こいつは、佐賀から共に出てきた相棒だ。


エンジンがうんともすんとも言わなくなるまで走りつぶしてやろうと思っている。